出雲巡礼2021秋

投稿日:2021/10/08

稲佐の浜の夕陽 弁天島の陰に秋分前の太陽が沈む
稲佐の浜の夕陽 弁天島の陰に秋分前の太陽が沈む

稲佐の浜の夕陽 弁天島の陰に秋分前の太陽が沈む

プロローグ

 2021年冬至、いよいよ人類意識の覚醒が始まる。光は日本人から全世界へと拡大していく。いったい日本のどこから覚醒が始まるのだろうか。私は、出雲からだと思う。今大勢の人が出雲に引き寄せられている。大国主命の国譲りの神話に深く彩られた出雲の地に、不思議と人々は吸い寄せられるように引き寄せられている。

 なぜだろうか。1万3000年前、人類意識の大崩壊が起こった。何十万年も人類を育んできた高次の存在達にとってもそれは想定外の大事件だった。大陸は沈み、極移動が起こり、アトランティス文明は跡形もなく消え去ってしまった。それだけではない、生き残った人類も毛むくじゃらの野蛮人まで意識レベルを落としてしまった。

 6000年前、漸く文明を受け入れられる程度に人類意識は目覚め始めた。世界各地に文明が誕生した。そのすべての文明の発祥の地が日本だと言われている。神代の時代の記憶の中に、その秘密は隠されているはずだった。

 私は、2019年5月並木良和先生のチャネリング講演会『ステラ』に参加した。天照大神は、実は女性ではなく男性だった。ニギハヤヒノミコトと瀬織津姫こそ日本創生の根本の神であった。それが、長い間隠されてしまい、力を発揮できないでいた。今、日本人の意識の中に、ニギハヤヒと瀬織津姫が復活する時、創生の神々も本当の力を発揮できるようになる。

 私は、創生の神々と1万3000年の歴史の謎の答えを求めて、出雲へと旅立った。その3日間は想像以上に素晴らしい旅となった。次々と謎が紐解かれていった。さあ、あなたも一緒にこの素晴らしい謎解きの旅に出かけましょう。

出雲巡礼2021

1.出雲縁結び空港-人類意識の上昇

 9月19日午前8時35分、JAL277便は予定通り出雲縁結び空港に着陸した。空港を出ると静かな田園風景が広がっていた。空は青く、ところどころに雲が浮かんでいる。360度視界が開け、そよ風が心地よい。昨夜、台風14号が駆け抜けた東京地方とは打って変わって、穏やかな天候だった。

台風14号は、異例ずくめのコースをたどって、九州から関東へと走り抜けていった。東シナ海では、行ったり来たりとN字型を描き、観測史上初めて福岡県に上陸した。四国を横断し、和歌山県に再上陸して太平洋に抜けていったのだ。出雲は台風一過の青空だった。台風がすべての汚れを吹き払ってくれたかのようだった。

私たち夫婦とミホリーナ夫婦、四人旅だった。私は、8月初めに出雲巡礼を企画して、飛行機や旅館を手配していた。ところが、8月24日突然ミホリーナから、「9月の連休に、出雲大社に行きたいね~」とラインが入ってびっくりした。誰にも言っていなかったのに、私たちはまさにその日に出雲大社に行こうとしていたのだ。

ミホリーナはやけに直感力が鋭かった。特にパワースポットには目がなかった。彼女の行動力には、何度も度肝を抜かれた。ミホリーナというのは、並木良和先生がつけたあだ名だった。彼女は2ヶ所の保育園の理事長である。子供が大好きで、子供たちが愛情に包まれて溌剌と成長できることを心底願っていた。今回は、彼女とご主人のパパさんが同行した。

私たちは、2019年1月並木先生主催の香港リトリートで初めてミホリーナに出会った。小柄な体のどこにそんなバイタリティが隠れているのかと思うほど精力的に活動していた。次に7月のハワイリトリートでも一緒だった。新型コロナウイルスの流行のためその後のリトリートは中止になったが、私たちは何回か神社巡りに同行した。そして、今回ついに出雲巡礼にも同行することになった。

 出雲大社は、かなり前からいつか尋ねたいと思っていた。

「あなたが行きたいと思ったら、それは呼ばれているという意味ですよ。」

並木先生はよくそんな表現をした。数多(あまた)ある神社仏閣の中から、そこへ行きたいと思うのは偶然ではない。過去世かどこかで何かしらの縁があるに違いないのだ。

 2019年並木先生は毎月1回チャネリングを通じて神仏と交流するワークショップ『ステラ』を開催していた。5月のテーマは、「ニギハヤヒと瀬織津姫」だった。私は、出雲族の国譲りと弥生族の天皇制の間の関係を知りたかった。縄文時代の最後の代表ともいうべき出雲族は、アマテラスオオミカミに代表される弥生族によって滅ぼされ、歴史の表舞台から姿を消してしまう。

 以後弥生族の系譜を引く万世一系の天皇制によって日本は導かれてきた。明治維新によって植民地化をもくろむ列強に対抗して独立国家を守ったが、遂に1945年敗戦の憂き目を甘受することになった。ある意味で弥生族の歴史の破綻である。今、出雲の力が鮮烈によみがえろうとしている。出雲へ、出雲大社へと人々が引き寄せられている。

 日本国創生の時代に何があったのだろうか。そして今、次の時代を紡ぎだすエネルギーはどこからやってくるのだろうか。私たちは、壮大な疑問を携えて、出雲にやってきたのだった。

1万3000年の人類歴史が、今大転換の時を迎えている。2012年(平成24年)12月21日マヤ歴が終わった時、地球の覚醒が始まった。地球の意識が3次元から5次元へと向かって上昇を始めたのだ。そしてついに、2017年(平成29年)人類意識の覚醒が準備された。2017年から2021年冬至までが選択のための準備期間だ。準備期間が終わるといよいよ人類意識の覚醒が始まる。3次元世界から5次元世界へと意識の上昇が始まるのだ。

3次元、4次元、5次元といってもどんな意識状態なのか理解するのは難しいかも知れない。もちろん3次元世界とは今私たちが住んでいる世界だ。この世界の特徴は、善と悪、光と闇が綱引きをしている二元性の世界だ。まるで振り子のように、世界は善と悪の間を行きつ戻りつしている。第2次世界大戦の悪夢と狂気の戦場から立ち上がった人類は、世界平和を思い描いて善に向かって理想を掲げた。だが光明が差し始めた時、朝鮮戦争から冷戦時代、ベトナム戦争へとつき戻されていった。こうして心では平和を求めているにもかかわらず、何十世紀にもわたって常に戦争を繰り返しているのが3次元世界だ。

死後の世界は、幽界、霊界、神界と別れている。4次元世界は霊界に相当する。ここでは悪は既に力を失っている。人々は柔和で喜びに溢れ、智慧と愛の探求にいそしんでいる。もはや善を求め、光を求めても攻撃されたり、落とし穴にはまったりすることはない。二元性の世界が終わり、すべての心が光を求めて活動している。

神界に相当する5次元世界となると、様相は一変する。心が拡大して自己の英知と繋がり、自然界と常に交流しながら意識の具現化を行っている。源のエネルギーが心の底から湧き上がり、常に至福感に満たされた状態となる。

6次元世界に入ると、個人の意識から集合意識へと意識が拡大する。すべての人の心が手に取るように分かり、個人ではできなかった壮大な計画を共同して実現できるようになる。一人でありながら、複数の場所に同時に意識を向けることができ、複数の体験を同時に行えるようになる。肉体を持って存在できる最高の状態が6次元だ。

7次元になると、もはや肉体的存在ではなくなる。意識体として存在し、自己を光として認識するようになる。どんな肉体的形態でも自由に創造することができ、宇宙のあらゆるところに瞬時に現れることができる。アセンデッドマスターと呼ばれる意識状態である。

2017年から2021年冬至までが、すべての人にとって選択の期間である。このまま3次元世界で生き続けるのか、5次元へ向かって意識の飛翔を始めるかの決断を求められている。自然災害、大雨、洪水、病気、倒産、新型コロナウイルスなどを通して、誰もが今までの生き方から目覚めるように誘われている。

この選択の期間が終わると、いよいよ飛翔の助走が始まる。カルマを精算し、概念を手放し、心の闇を洗い流してきた人々が、本当の覚醒を体験し始める時がやってくる。これまではどんな努力をしても、大した心境の変化が生まれなかったと思っている人にも、目くるめくような意識の変化が訪れる。あなたを取り巻く自然界が、あなたの心と同調を始める。心を合わせて一緒に活動しようと人々と交流を始める。物事が円滑に動き始め、心が抵抗に直面することが減っていく。平安と至福がたびたび心を満たすようになる。

そんな新しい時代の息吹を感じるために、私たちは出雲にやってきた。縄文時代の愛と平和の感性を色濃く残すこの地から、2021年冬至以降の世界を体感するためにやってきた。まずは、古い時代の滓(おり)を断捨離するために、祓いの神社へと向かった。「穢れ」を「祓う」のだ。

2.「穢れ」を「祓う」

  私たちは、迷い逡巡することが既に「穢れ」であることを忘れている。右か左か、損か得か、勝ち組か負け組か、そんな選択にエネルギーを費やすことが「穢れ」だということすら忘れている。悩み悩んだ結果、頭がオーバーヒートしてボーとなってしまい、遂には夜眠ることもできなくなってしまう。それでも考え続けようとする。何故ならそれ以外の方法を学んできていないからだ。

 「穢れ」とは「気枯れ」である。身体を循環する気の流れが滞ってしまうことが「穢れ」なのだ。だとすれば、迷いを手放し、体の中を自然に循環する気の流れにゆだねてしまえばよい。そうすれば、自然と良いアイデアが浮かんでくる。ハッとする名案を思いつく。

 私たちは今でこそ仲の良い夫婦になった。だが、ここまで来る道は決して平坦ではなかった。結婚して5,6年頃に大きな危機があった。

男性は、社会に出て仕事を覚え、ちょうど責任を負うようになる時期である。仕事のために深夜まで働くことも多くなるだろう。子供が生まれ、生活費もかかるようになる。ますます一生懸命仕事にのめり込んでいく。仕事の付き合いで、酒宴の席が多くなる。ノミニケーションだ。

女性は、待望の子供が生まれ、子育てに夢中になる。初めはどんな手抜きもせずに、最愛の子供を最高の状態で育てたいと必死に頑張る。母性の命じるまま、愛情を注ぎ続ける。そして、二人、三人と子供が増えていく。家事の仕事量もうなぎのぼりに増え、自分の心に誓ったケアが徐々に不可能になる。夫は給料を入れてくれるかもしれない。だが、酒のにおいをぷんぷんさせて、毎晩の深夜帰宅。子育ての苦労話に耳も貸してくれない。

相談すれば、「お前に任した。お前ならできる。信頼してるよ。」と、話を聞きもしない。片づけても、片づけても、家はどんどん汚れていく。ついに夫が言う。

「もうちょっときれいにできないの。」

「だったら、あなたがやってよ。」

 女性は切れてしまう。夫は、妻がなぜ怒っているのか、皆目見当もつかない。

「俺だって、夜中まで働いているんだぜ。」

「いつも、酔っぱらって帰ってきて、そのまま寝ちゃうじゃない。」

「好きで飲んでるんじゃないよ。仕事だよ。シゴト。」

「そうね。酔っぱらうのが、仕事なんでしょ。」

 ここまでくれば、あとは奈落の底に落ちるのは時間の問題だ。二人の心の中に、不満とやるせなさが鬱積していく。誰かにしゃべってうっぷんを晴らしたくても、そんな話を聞いてくれる人などいない。家の中に、「穢れ」が満ち満ちていく。「穢れ」を慕って、「禍」が忍び寄ってくる。

 最初は湿疹だった。最近なぜか虫刺されが多いな。ふと思う。ところが日を追うごとに虫刺されは全身に広がっていく。手足だけではない。わき腹から背中まで、痒くて仕方がない。かゆみ止めを塗っても、古い湿疹は治まるが、次々と新しい湿疹が顔を出す。どうして自分だけが刺されるのだろう。原因が分からない。

 私はとうとう知り合いの皮膚科を受診した。肌を見せるなり先生が言った。

「ダニじゃない。」

「ええっ。ダニですか。」

「あんたちょっと服を脱いで見せてみなさいよ。」

 ワイシャツを脱ぎ、上半身裸になる。

「やっぱり、ダニよ。」

「だって、引っ越したばかりの新しい家なんですよ。それに、妻も子供たちもたいしたことないですよ。」

「そんなこと言ったって、これはダニよ。ダニ退治をしなきゃ治らないわよ。」

 それから晴れた日には毎朝布団干しをした。毎日毎日畳に掃除機をかけた。だが、一向に湿疹はよくならなかった。妻と相談した。

「思い切ってダニアースしようか。」

「だめ。絶対ダメ。けむりが家中に充満しちゃうのよ。洗濯物だって、布団だって、薬まみれになっちゃうじゃない。」

「そうかぁ。だめかぁ。」

 ついに消毒の専門家に家を見てもらった。畳を持ち上げ、畳の下の埃を顕微鏡で調べてくれた。

「ダニですね。」

「引越してまだ3年しかたたないんですよ。」

「最近新築の家にダニが多いのですよ。畳の下にダニ取りシートを敷かなくなったので、ダニが出ることがあるのですよ。別に不潔にしていたから、ダニが出たわけじゃないのですよ。」

 専門家は、妻をかばって説明してくれた。ダニの種類に応じた消毒をしてくれた。それから、瞬く間に湿疹は治ってしまった。だが、「穢れ」が消えたわけではない。

 郊外の我が家の周りには、まだ緑が少し残っていた。直ぐそばには畑もあった。そのせいか、虫もたくさんいた。コガネムシは当たり前の遊び相手である。ゾウリムシ、ハチ、クモ、バッタ、トンボ、アゲハチョウ、ヤモリなど、家の周りは昆虫たちの宝庫だった。だが、次第に家の中まで、虫たちの宝庫になっていった。

 ある日、2階の畳の部屋に巨大なクモがいた。そんな大きなクモを見たのは初めてだった。手足を伸ばすと10㎝もありそうなクモだった。子供のころから、クモは家の守り神だよと教わってきた。殺すわけにはいかない。どうしたら良いのだろうか。

 ちょうど空の菓子箱があった。クモはじっとしている。そっと上から箱をかぶせた。突然クモが暴れだした。ガサゴソ、ガサゴソ。ものすごい音を立てて暴れた。だが、逃がすわけにはいかない。

 私は箱の下にそっとボール紙を挿入して、蓋をした。

「やったぁ。」

 思わず叫びたくなるほど、うまくいった。クモを庭に逃がすと、ほっとした。

 最近やけに昆虫が多いな。そう思いながら、階段を降りていると、真っ黒い飛行物体がへたくそな飛び方をしながら目の前を横切った。と思った瞬間、なんと私の顔にぶつかって下に落ちた。

「なんだぁ。」

 視界の端を黒い虫がこそこそと逃げていく。ごきぶりだ。よりによって人の顔にぶつかってくるとは、前代未聞。早々にゴキブリホイホイを買いに出かけて、家中に仕掛けた。

 次は、アリだった。ある朝目覚めて食堂に行くと、部屋を横切っている黒い行列があった。「うそでしょう。」

 庭からガラスのサッシの隙間を通り抜けて、食堂を斜めにアリが行列を作って横切っているのだ。

「お母さん、アリだよ。アリが行列を作ってる。」

 私は大声を上げて妻を呼んだ。2階から降りてきた妻がこともなげに言った。

「アリなんて、何よ。」

 さっと掃除機をかけると、行列は消えてしまった。妻は何もなかったかのように、2階に上がっていった。私はきょとんとしていた。妻はこんなに昆虫に強かったのか。たくましい主婦に成長したのか。驚きで一杯だった。

 私は、アリ用の殺虫剤を何種類も買ってきた。家の中用や庭用、サッシから侵入を防ぐものまで何種類も販売されていた。

 (なんだ。結構みんな悩まされているんだ。)

 我が家が特別ではないことに、ほっとした。

 土曜日の夕方、久しぶりに早く帰宅した。妻は子供たちと買い物に出かけていた。テーブルには美味しそうなカレーライスがラップをかけておいてあった。妻のカレーは私の大好物だった。私は、ラップを外し、スプーンでカレーをすくって早速口に運ぼうとした。

 その瞬間、わが目を疑った。そんな馬鹿な。こんなことがあって良いのだろうか。

 目の前の空間に、虫の幼虫が浮遊しているのだ。ウジ虫よりも細身の昆虫が、空中でダンスをしていた。私は、スプーンを口元まで近づけたところで、凍り付いてしまった。幼虫と目があった。二つの目が笑っている。私は目を凝らして幼虫を見つめた。初めて、幼虫の上に細い糸がスーッと伸びているのが見えた。ほっとした。幼虫は浮遊していたのではなかったのだ。垂れ下がっていたのだ。

 頭上の電気の傘を見ると、ほかにも幼虫がいる。

 待てよ、もしかしたら。私はカレーの皿をそっと持ち上げて、底を見た。やっぱり。

 妻が帰ってくると、私は言った。

「む、虫が。虫が台所中を這い回っている。」

「ほんとだわ。どこから出てきたのかしら。」

全然動じていない。早速、ダニでお世話になった消毒業者に電話をしてくれた。

「コガネムシの幼虫ですって。小麦粉の袋がないかって言っていたわ。口が空いていると、幼虫がわくんですって。」

 私たちは、早々にキッチンの下を調べた。専門家の言ったとおり、口の空いた小麦粉の袋がそこにあった。その中には愛らしい幼虫たちが楽しそうに這いずり回っていた。

 二人の関係はかなり緊張したものになっていた。これはやばい。何とかしなければ。結婚したころは、よく二人で居酒屋に行った。たわいのないおしゃべりをしながら、楽しい時を過ごした。ところが、今はほとんど会話がなくなってしまった。

「飲みに行こうよ。」

 私は妻を強引に誘った。

「無理よ。子供が4人もいるのよ。行かれるはずがないじゃない。」

「大丈夫だよ。ほんのちょっと出かけるだけなんだから。」

 すると7歳になる長女が言った。

「行ってくればいいじゃん。私が面倒みるから。」

 長女は妹や弟の面倒を見るのが大好きだった。だが、一番下はまだ1歳にもなっていなかった。妻が渋っていると、長女が行きな、行きなと妻を説得してくれた。子供たちのお菓子や寝る支度を済ませると、妻が重い腰を上げた。長女が玄関まで、末っ子を抱っこして見送ってくれた。

「じゃあ、頼んだね。」

「大丈夫よ。」

 長女にすべてを任せて、玄関の扉を閉めた。

 二人で夜の街路を歩いた。毎日通いなれた商店街がまるで別の景色だった。夜の風が心地よく頬を撫でていった。居酒屋は大勢の人であふれていた。その活気に包まれながら、まずは生ビールを注文した。二人で乾杯する。堰を切ったようにおしゃべりが始まった。他愛のないおしゃべりだ。だが、緊張が音を立てて崩れていくのが分かった。ほろ酔い加減がさらにもつれた緊張の糸を解(ほど)いていく。「穢れ」が「祓われた」瞬間だった。

 酔って二人で家に戻ると、子供たちは既に眠っていた。居間にはお菓子とおもちゃが散乱していた。子供たちもどんちゃん騒ぎをしていたのだ。今夜は無礼講だよ。何をしても大丈夫。怒られないよ。そんな子供たちの笑い声の後が残っていた。

3.賣布神社-祓え戸の神

 賣布神社は、松江市の中心街にある。すぐそばを大橋川が流れる街中の神社だった。空港でレンタカーを借り、宍道湖の畔(ほとり)を走り続けると1時間ほどで賣布神社に着いた。道は空いていて、左手には穏やかな湖面が広がり、右手は山陰本線のレール越しにのどかな田園風景が広がっている。日曜日の朝なので、市内に入っても人通りは閑散としている。もっとも、これは新型コロナの影響だった。三(さん)蜜(みつ)回避のため、観光地はどこも人通りがまばらだ。

賣布神社 拝殿 端正なつくりの建築様式 屋根が翼を広げたように上を向いている

賣布神社 拝殿 端正なつくりの建築様式 屋根が翼を広げたように上を向いている

荒川亀斎の龍刻 龍の気迫を伝える眼光と全身にほとばしる霊気に打たれる

荒川亀斎の龍刻 龍の気迫を伝える眼光と全身にほとばしる霊気に打たれる

 鳥居と山門をくぐると参道が拝殿までまっすぐに伸びている。右手の手水舎(ちょうずや)で手と口をゆすぎ、拝殿へと向かう。既に辺りの雰囲気は街中と隔絶している。大きな松の木が境内を取り囲むように立っている。心静かに『祓いたまえ、清めたまえ』と、三礼四拍手する。静けさが心の底に沁みてくる。

 妻は、社務所に御朱印帳の記帳に向かった。お札やお守りの前に置かれたテーブルにお清めの塩を入れたお茶がふるまわれていた。口に含むとほんのりと塩の味がする。

 賣布神社の案内には、祓いの本質が見事に表現されている。

「神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍(わざわい)や過ち、そして気枯れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力をよみがえらせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義であります。」

 ご神木の霊気が満ち満ちているのが感じられた。地中からエネルギーが螺旋を描いて湧き上がり、佇む(たたずむ)ものに生命力を与えている。地のエネルギーは渦巻いて大空へと放射されている。太陽の光が柔らかくあたりを包み込み、大地と大空とのエネルギーの循環を支えている。しばしの間、大自然の気の循環に身をゆだねる。

境内を松の巨木が取り囲んでいる。大地から螺旋を描いて上昇する霊気が満ち満ちていた。

境内を松の巨木が取り囲んでいる。大地から螺旋を描いて上昇する霊気が満ち満ちていた。

「穢れ」とは、なんだろう。穢れとは心の中の葛藤である。本来私たちの本質は、光一元であって、迷いもなければ苦しみもなかった。源は愛そのものであり、光そのものだった。しかし、光しか存在しなければ、どうして自分が光であることが分かるだろうか。そこにわずかでも暗さがなければ光は光としての自分を認識することができない。そこで、光は自分ではないもの「闇」を創造した。それが宇宙の創造である。

 人間は、源が自分自身を体験するために源によって創造された。この宇宙には、源ではないものは何も存在しない。しかし、人間は源との深い絆を忘れた。絆を忘れただけではない、自分が光であることも忘れた。そして、完全な自由を与えられた。完全な自由とは、どんな悪を犯すことも、どんな残虐なことをすることもできる自由である。

 今の世界を見てみよう。どれ程の自由を人類が与えられているかがすぐわかる。何千人、何万人を殺戮し、無実の罪で牢獄に閉じ込め、原子爆弾をさく裂させ、拷問し、遂には自殺する自由まで与えられている。

「神も仏もあるものか。」

「神がいるなら、どうしてこんなひどい世界をほっておくのか。」

 そう思うかもしれない。それにはからくりがある。そう、3次元世界は幻想なのだ。生まれてから死ぬまでの、ほんのひと時の舞台に過ぎない。本当の世界、愛と喜びの世界は4次元以降に実在している。だが、光一元の世界を体験するためには、どうしても「闇」が存在しなければならない。現世とは、私たちの戯れ(たわむれ)の場所なのだ。思う存分自由にありとあらゆることを楽しめる巨大なテーマパークのはずだった。そして、死んで天国に帰り、大勢の魂と体験を共有し、再び本来の自分として生きるためのつかの間のプレイランドのはずだった。

 ところが、地球の人類に途方もないことが起きた。肉体を脱いでも、天国に戻れなくなってしまったのだ。人々は何度も生まれ変わり、死に変わり、顕幽を行き来しても、全く本来の世界を垣間見ることもできなくなってしまった。何世紀も、何十世紀も、「闇」の中を放浪する牢獄に閉じ込められてしまった。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。源の誤算なのか。いやいや源に失敗は存在しない。不完全はあり得ない。

4.佐太神社-ベジカパイシス

 賣布神社で汚れを祓った後、私たちは佐太神社に向かった。松江市から車で20分ほど北西へ向かうと、佐陀(さだ)川の畔に佐太神社がある。主祭神は、猿田彦(さるたひこの)大神(おおかみ)である。導きの神、道開きの神、長寿の神、交通・海上守護の神、地鎮の神として信仰されてきた。

 車で佐陀橋を渡ると大きな鳥居の右側にある駐車場に車を止めた。抜けるように青い空に雲が浮かんでいる。空が大きかった。手水舎で清めた後、山門(随神門)を潜った。広い境内の向こうに三つの社(やしろ)が並んでいる。御本殿三社だ。中央の正中殿の祭神が猿田彦大神、北殿が天照大神と瓊瓊(にに)杵(ぎの)尊(みこと)、南殿が素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)である。

佐太神社 中央が猿田彦大神を祀る正中殿、右が天照大神と瓊瓊杵尊を祀る北殿

 参拝の前に右手の社務所によって、祈願割符を授けてもらった。社務所の人が丁寧に祈願割符のやり方を説明してくれる。まず佐太神社の四つの社を参拝した後、鳥居を出て左側にある田中神社にお参りする。そこには、二つの社が背を向けて建っている。佐太神社側にあるのが西社で木花開耶姫(このはなさくやひめの)命(みこと)を祀っている。縁結び・安産の神である。背を向けて東側を向いているのが東社で、盤(いわ)長(なが)姫(ひめの)命(みこと)を祀っている。悪縁切り・長寿の神である。

 まずは、正中殿にお参りをした。三礼四拍手一礼は、とても清々しかった。拍手が四方に響き、心が洗われる。次に北殿にお参りしようとした時、社殿の垂れ幕に描かれた神紋にびっくりした。二つの円が横に重なり合ったベジカパイシスの図案だった。祭神は、天照大神である。

天照大神を祀る北殿の神紋は、ベジカパイシスだった。輪違紋と呼ばれる。

天照大神を祀る北殿の神紋は、ベジカパイシスだった。輪違紋と呼ばれる。

 4年前クリニックを新築した時、新しいロゴマークを創ることになった。いろいろ考えたが、結局宇宙創造の最初のシンボルであるベジカパイシスを採用したのだった。このシンボルは、ネットで検索すると意外と使われていなかった。ところが、天照大神のシンボルとしてはるか昔から佐太神社に掲げられているとは、思っても見なかった。

 その天照大神の本当の姿は、ニギハヤヒノミコトだった。

 もしかしたら、ずっとニギハヤヒノミコトが私たちを導いてくれていたのかも知れない。

2019年(令和元年)5月並木先生のチャネリングワーク『ステラ』のテーマは、ニギハヤヒと瀬織津姫だった。神田駅近くの会場は満員の盛況で熱気に包まれていた。この二柱こそ日本創生の神々であると聞いていた。ちょうど5月1日に新天皇が即位したばかりだった。時代は平成から令和へと移り変わった。

同時に、私は、なぜ出雲族の大国主(おおくにぬしの)命(みこと)が国譲りをしたのかも知りたかった。縄文を代表する出雲族は歴史から姿を消し、出雲大社だけが残されている。弥生族は、稲作と鉄器をもたらし、天皇制によって日本を統一した。しかし、縄文の純粋性は失われ、絶え間ない戦争の歴史へと変貌してしまった。天皇は出雲族ではなく、弥生族の中心として存在している。

私は質問した。

「伊邪那(いざな)岐(ぎ)、伊邪那(いざな)美(み)は、ニギハヤヒと瀬織津姫と同じ存在なのですか。」

並木先生は答えた。

「それで良いです。名前を変えられてしまっているのです。彼らは人間ではなく、神です。神と言っても創造主ではなく、宇宙人なのです。シリウスからやってきています。天(あま)の磐(いわ)船(ふね)に乗って、飛び回っていたのです。その流れで、天皇が出て来ています。」

「縄文の代表は出雲族の大国主命なのですが、弥生族に攻められて、国譲りをして黄泉の国に入っていきました。国譲りにはどういう意味があるのですか。」

「弥生族は、縄文に侵略してきた者たちであって、高い波動が落ちていってしまいました。純粋性がなくなってしまったのです。宇宙とつながるとか精神性、霊性が失われてしまったのです。その結果、欲や我の時代に変わってしまったのです。」

「しかし、弥生族の中心に天皇が存在していますよね。」

「天皇家の中に、精神性をもたらしているのです。(ニギハヤヒのエネルギーが天皇に)オーバーシャドウしていたのです。天皇の意識を彼が共有していました。彼の意思を天皇に伝えるのです。伝えられた天皇がその通りに動いて行く。意識を共有しているのです。」

「令和の時代になって、大嘗祭などを通して、天皇は精神性を受け継いでいくのですか。」

「大嘗祭を通じて、神界が動きます。天皇が交代すると、天皇を守護する神たちも交代するのです。神界の仕組みが変わります。必ず毎回神界が動くのです。

 まって。(声を聴いている)

 神の世界は、完全な世界ではないのです。神の世界にも争いがあります。勢力争いがあるのです。上にあるがごとく、下があると言うように。今、乱れていたものが、急速に統合へと向かっています。それが反映されるから、地上にも統合の流れが出てきます。」

 並木先生の説明には、よどみがなかった。けれども、細かい脈略になるといつも答えがぼかされている。あまりにはっきりと表現したときに、横やりが入ってくるのを警戒していた。

「これ以上話すと、ちゃちゃが入るんだよね。話せる範囲で、なるべく皆さんが分かるように話しているのですが。」

 そんな風に説明することが多かった。

質問する私たちは、並木先生が「な・い・しょ」と答えるのが楽しくて、核心を突こうとする。

 私の後には、もっと熱心で歴史に詳しい人たちが質問した。

 大和に降臨したニギハヤヒが王朝を築いたが、ニギハヤヒの弟ニニギノミコトが高千穂に降臨してついに大和を征服してしまった。弟が兄を制圧してしまった。ニギハヤヒはどう思っているのかと質問した。

「分け御霊であると言っています。」

「二人が統合した形で降臨したら、ベストだと思うのですが?」

「その時は、別々に分かれることで、それがベストだったのです。その時は、分かれた方が良かったのです。」

 『分け御霊』という説明に、圧倒的な説得力があった。驚くほど詳しい知識を持った質問者も思わず納得した。

 ニニギノミコトとニギハヤヒノミコトが分け御霊であったなら、大国主命と天照大神も分け御霊である。出雲族も弥生族も分け御霊である。ある目的を達成するために、わざわざ二つに分かれて、一見争っているように見えながら歴史を動かしていた。それがベストだったと。

 しかし、どうして分け御霊同士が争わなくてはならなかったのか、その時の私にはまだ理解できなかった。

5.田中神社-悪縁切り

 御本殿の南側にある三笠山に続く石段を登ると伊弉冉(いざなみの)命(みこと)を祀る磐(いわ)堺(さか)「母儀人基社(ははぎのひともとしゃ)」がある。磐堺は、2本のご神木の間に苔むした岩々が鎮まり、八角形の土台で囲ってあった。八角形は天皇を象徴する神聖な形である。赤松の巨木だろうか、何本も美しい赤膚の幹が立ち並び、太陽の強い日差しが梢から漏れ射している。静寂の中に鎮まる神の息吹を感じる。

伊弉冉(いざなみの)命(みこと)を祀る磐(いわ)堺(さか)「母儀人基社(ははぎのひともとしゃ)」

伊弉冉命( いざなみの みこと)を祀る磐堺( いわ さか)「母儀人基社(ははぎのひともとしゃ)」

 佐太神社は、広い境内全体が静寂に包まれている祈りの世界だった。

 参道を戻り、鳥居を抜けてしばらく歩くと佐陀川に面して田中神社がある。小さなお社が背を向けて建っている。それぞれに参拝した後、私が最初に中央の隙間に立って割符を割った。西社の縁結びの札は、お札掛けに掛けた。東社の悪縁切りの札は、箱の中に奉納した。

西社の木花開耶姫(このはなさくやひめの)命(みこと) 縁結び・安産の神 東社の盤(いわ)長(なが)姫(ひめの)命(みこと) 悪縁切り・長寿の神

西社の木花開耶姫命( このはなさくやひめの みこと) 縁結び・安産の神 東社の盤長姫命( いわ なが ひめの みこと) 悪縁切り・長寿の神

田中神社 お参りが引きも切らない。

田中神社 お参りが引きも切らない。

 その直後だった。次女から携帯に電話がかかってきた。

「お父さん、ゆんちゅると話し合ったほうが良いのじゃない。」

「どうしたの。」

「ゆんちゅるが、また銀行から借金するんだって。この間、200万借りたばかりなのに。おかしいと思わない。友達と会社を経営してるからって、借金するのがゆんちゅるだけなんて、絶対変だよ。いい加減、その会社辞めたほうが良いんじゃないの。」

 次女は、妹夫婦の会社のことを心配して、かなり興奮していた。

「妹はどう思っているの。」

「それがさぁ、旦那のことを気遣って、何にも言えないのよ。強く言ったら、ゆんちゅるがへこんじゃうって、話もろくしていないみたい。」

「奥さんが言えないことを、お父さんも言えないじゃない。夫婦でまずよく話し合うように言ってみたら。」

 次女は、何とか借金するのを止められないか、友人たちに騙されているのではないか、心配が次々と浮かび上がってきて興奮が冷めなかった。

「ちょうど良かった。今、悪縁切りの神社をお参りしているんだ。悪縁が切れるように、お願いしておくよ。」

 私は、東社の表札を写真に撮って、ラインで送った。

『御祭神 盤長姫命 田中神社 御利益 縁切』

 あまりのタイミングの良さに、私自身びっくりした。だが、本当はゆんちゅる、つまり三女の夫の問題ではないのだ。次女の心の中の不安が浮上してきているのが分かった。自分の不安をフィルムにして、現実世界に投影しているだけだった。現実世界の現象は、自分の不安から創りだされているのだ。それに気づくことが、統合の最初の一歩だった。

さあ、このことをどうやって娘に伝えたらよいのだろうか。

 私は、盤長姫にお祈りした。

 私が電話のため境内の外に出ている間、妻とミホリーナ夫妻は割符の奉納で盛り上がっていた。美しい女神が描かれた札の裏側には、「良縁結祈願」「悪縁切祈願」と書かれている。そこに自分の名前を記入し、二つの社の真ん中でパキッと札を割るのだ。一人ひとり、順番に心の中に祈願を思い浮かべながら、社の真ん中に立って、パキッと割った。

 翌朝、しばし瞑想した後、玉造神社の旅館から、次女にラインを送った。

「ゆんちゅる、心配だね。

 だけど、失敗することも、人生の大事な選択だから、

ゆんちゅるとノンちゃんで、相談して行ったら良いよね。

 人生の目的って、この世で経済的に成功すること以上に、

大きな気づきを得ることなんだよね。

 追い詰められていくのは、気づきを得るための、

神様の罠なんだ。

 そこで、わー苦しいってもがいて、

これじゃダメだぁってところまで行かないと、反転しない訳。

 だから、中途半端に引き戻されちゃうと、

また同じことを繰り返す訳。

 側(そば)で見ていると、また同じじゃんと思うけど、

本人がとことん追い詰められて、もう嫌だあーってならないと、

反転しない。

 だから、人間、いつまでも戦争する訳。」

 必要なことが表現できたという手ごたえがあった。

 1時間後、次女から返信が届いた。

「お父さん!!

 凄い腑に落ちる!

 めっちゃ気付かされる。

 いつも私そうなんの!

 ただのお節介ババぁなのんだよね!

 自分の価値観押し付けて

 相手の学びを奪おうとしてた。

 旦那も近いものを感じる。

 旦那の職場環境理解できなくて

 旦那の身体が心配になるから

 私の価値観を押し付けてた。

 周りの思考回路変えて自分たちが働きやすい

 より良い環境に変えたら?って色々話すけど

 旦那や旦那の周りの人間が本当に改善して欲しいと思ったら

 すでに革命起こしているよね。

 外部が心配することではないんだね。

 鬱で休職している人もいるし

 30代で朝起きたら死んでたり

 過労死との因果関係は定かではないけど、

 そんな事が周りで起きてたら、

 会社に直談判して現状を伝えて変革を求めるか、転職するか

 だけど、ずーーーーっと何も状況変わらない。

 それぞれの価値観で生きてるから

 他人がどうこう口を出すことではないんだょね。

 ・・・・・

 良く分かったわ。。。」

 私は、驚いた。こんな短い文章で、伝えたいことが伝わっていた。盤長姫に感謝した。神の働きに感謝した。私は、急いで返信した。

「すごいね~

 素晴らしい気付きだよ!!

 ありがとう。

 そうしたら、次に考えることは、

 どうしたら、その人の力になれるかだよね。

 愛を送ってあげれば良いんだよね。

 愛は、宇宙に遍満するエネルギーだから、

 時空を超えて必ず相手に伝わる訳。

 心からの愛情を送ってあげて、

 最高に素晴らしいその人を認めて、

 見つけて、

 信頼して、

 力は初めからその人に備わっているのだと信じて、

 リスペクトして、

 尊敬して、

 目線を対等にして、

 愛を送ってあげれば良いんだよね!

 ブラボー。」

 娘からスタンプの返信が来た。

「祈ってます!」

6.監獄惑星-『エイリアン・インタビュー』

 私は、人類が生まれ変わり、死に変わりしながら、いつまでも無知と無明の中に留まっているのが、疑問で仕方がなかった。人は生まれる瞬間にすべてを忘れると言うが、死んだ後も何の真実も知らないように見えた。何十回、何百回生まれ変わっても、幽界と現世を行きつ戻りつしているだけ、としか思えなかった。

 そのからくりを初めて教えてくれたのが、『エイリアン・インタビュー』だった。

 1947年7月8日アメリカのロズウェルにUFOが墜落した。一時は米軍が空飛ぶ円盤の墜落と報道したがすぐに否定され、調査の結果気象観測用の気球を誤認したものだとされた。だが、多くの目撃者と記録写真によって本当にUFOが墜落したのだと信じる人々も多い。現在のロズウェルは、UFO墜落現場として有名な観光地に発展している。

 ところが、2008年墜落現場に駆け付けた陸軍看護師マチルダ・オードネル・マックエルロイの手記が公表された。公表されたとき、彼女は既にこの世の人ではなかった。ジャーナリストであるローレンス・スペンサーのもとに余命短い彼女から記録が郵送されてきたのだ。彼女の記録は事件の詳細を極めていた。

 彼女は防諜機関の士官であるミスター・カビットと共に現場に駆け付け、宇宙船の残骸と死亡した複数のエイリアン、そして生存していたエイリアンを発見した。マチルダだけがエイリアンのテレパシー的思考を感知することができた。陸軍基地に運ばれたエイリアンと通信することができたのは、結局マチルダだけだった。彼女は、6週間にわたりインタビューを行い、膨大な情報を入手することに成功した。エイリアンの死後、マチルダは機密保持誓約書にサインして、名誉除隊した。しかし、奇妙なことに彼女の手元には膨大な記録のコピーが一部残されていた。そのことは誰も知らず、マチルダは生涯誰にも話さなかった。

 事件から60年後、83歳になったマチルダは安楽死を選択した。その直前にすべての資料をスペンサーに送ったのだった。『エイリアン・インタビュー』は、2015年初版が発行され、2019年私は初めて読んだ。その衝撃は計り知れないものだった。

 エアルという名の生存していたエイリアンの話を要約しよう。

 宇宙船は雷の衝撃によって墜落した。エアルは、ドメインというスペース・オペラ文明の遠征軍の士官・パイロット・エンジニアだった。彼女はドールボディという精密なロボットの身体を自由に操ることができ、身体が破損した時は瞬時に母船に戻ることができた。ドメインは全宇宙の四分の1を占めるほどの巨大な文明であり、彼らは何兆年も続く文明であった。

 天の川銀河は宇宙の辺境にあり、地球はさらに辺境の地にあった。ドメインが初めて地球を訪れたのは、約1万年前だった。約8200年前、ヒマラヤ山脈の山の内側に一個大隊の基地を建設した。その直後、「旧帝国」軍の攻撃を受け3000人の隊員が捕虜となった。ドメインはその時初めて北斗七星に中央政府を持つ「旧帝国」の存在を知った。

 隊員全員記憶喪失にされ、偽りの催眠暗示を与えられて地球人の体の中に閉じ込められた。地球には、IS-BE(魂)を閉じ込める「電子バリア」が仕掛けられていた。IS-BEが肉体を抜け出ると、「電子バリア」が感知し途方もない電気ショック療法を使ってすべての記憶が消去された。それは一つの転生だけでなく、無限の過去からの記憶のすべてとIS-BEのアイデンティティーのすべてを消去する。電気ショック後に偽の記憶と偽の時間が催眠暗示され、思い出すことすら忘れるように指示されていた。

 地球は「旧帝国」が牢獄惑星として途方もない長い時間使われていたのだ。そこには、「旧帝国」の政治犯、反逆者、芸術家、音楽家、作家、脱税者などが送り込まれていた。牢獄惑星の目的は、無知、迷信と残虐な戦争により、IS-BEたちを電子バリアに捕縛されたままにすることである。

 ドメインは、「旧帝国」軍の宇宙船と太陽系の宇宙空間で長い間交戦した。西暦1235年、ドメインはついに「旧帝国」軍を壊滅させた。だが、「電子バリア」システムを解除することができなかった。そのため、3000人の捕虜は未だに地球人として無意味な転生を繰り返している。

 「旧帝国」軍の宇宙艦隊は壊滅したが、長い歴史を持つ思考コントロール・オペレーションの大部分は残されており、国際銀行家たちに見えない影響力を与えている。彼らは武器と戦争を奨励し、無意味な戦争による大量虐殺を引き起こしている。それは、地球のIS-BEたちが覚醒してしまうのを妨害するためである。「旧帝国」軍の宇宙艦隊は壊滅したが、彼らの秘密基地は未だ存在し、活動している。

 この情報は、私の知りたかったことを見事に解明してくれた。有史以来果てしなく続いている人類の戦争。第二次世界大戦以降の世界を見ても、人々は故意に戦争しているとしか思えなかった。単に物欲のために戦争すると言う以上に、もはや操られて戦争しているとしか見えない。それは、牢獄惑星に永遠に魂を留めておくためのコントロールシステムだった。

 ドメインは、捕虜となった3000人の居場所をすべて把握した。しかし、その魂(IS-BE)を「電子バリア」から解放することは未だできていない。エアルはまだ果てしない時間がかかるだろうと予測した。1947年当時、まだ宇宙的な覚醒の波は始まっていなかった。

 エアルは、人類に対する闇の勢力の実像を表現していた。しかし、人類を進化発展させようと願う光の存在達のことは、ほとんど触れていない。人類創生に関わったシリウスのニギハヤヒやニビルのアヌンナキのことはほとんど説明がなかった。天使についても、まったく記述がない。マチルダは、エアルたちは無神論者だと報告している。

 『エイリアン・インタビュー』は誰のために書かれたのだろうか。人類に深い英知を与えようとする意図が感じられる。実際マチルダも私も、驚愕の事実に何度も打ちのめされた。一方エアルは、直接的には米軍司令官たちや諜報機関幹部に向けて語っている。肉体を持った闇の支配者たちに、真実を知らせるためにこの本は書かれているのではないだろうか。

 並木先生は、大国主命と瓊瓊(にに)杵(ぎの)尊(みこと)は分け御霊だと言った。出雲族は滅ぼされ、大国主命は黄泉の国に身を隠した。瓊瓊杵尊の弥生族が日本の国を支配し、天皇制を通してニギハヤヒは神々の意図を具現化しようとした。実際には、弥生族の歴史は戦争に明け暮れていた。鎌倉時代、戦国時代、明治維新、第二次世界大戦と日本の歴史もまた戦争の歴史だった。それにもかかわらず、並木先生は「その方がベストだった。」と言っている。

その言葉の深い意味が、徐々に私の意識に浮き上がってきた。

7.美保神社-水木しげるの古代出雲

 佐太神社から島根半島の先端にある美保神社へと向かったが、その前に境港で美味しい海鮮丼をいただくことにした。山陰ののどかな田園風景と中海の真ん中を一直線に走る湖の道を通過して、CMの「ベタ踏み坂」で有名になった江島(えしま)大橋を渡ると、もう境港だ。

 お店一押しの海鮮丼は、新鮮な刺身やアワビ、松葉ガニ、ウニが丼にあふれるようにのっていた。日本海の魚は本当に新鮮だった。

境港の海鮮丼 一番人気だ。甘露醤油にワサビを混ぜていただく。

境港の海鮮丼 一番人気だ。甘露醤油にワサビを混ぜていただく。

 美保神社には、大国主命の長男である事代(ことしろ)主(ぬしの)神(かみ)が祭られている。事代主神は、鯛を手にした福徳円満の神、えびす様である。ここは、全国3385の「えびす社」の総本宮。また、大国主命のお后三穂津(みほつ)姫(ひめの)命(みこと)が祭られている。拝殿の奥の本殿は、右側に三穂津姫命の社殿、左側に事代主神の社殿と二つの大社造の社殿が並ぶ特殊な形式となっている。

美保神社鳥居 漁港前の神社と思えないほど森の緑に囲まれている。

美保神社鳥居 漁港前の神社と思えないほど森の緑に囲まれている。

神門 大きな注連縄の向こうに拝殿が見える。

神門 大きな注連縄の向こうに拝殿が見える。

美保神社拝殿 壁がなく梁がむき出し 音響効果が優れている。

美保神社拝殿 壁がなく梁がむき出し 音響効果が優れている。

 半島の先端にあり、鳥居の前には漁港が広がっているのに、社殿の背後は深い森になっていた。午後の日差しが拝殿や木々を美しく照らし出していた。

 ここは大国主命の国譲りの舞台でもある。アマテラスは使者を大国主命のもとに送り国譲りを迫った。ところが3回とも失敗してしまった。最後にアマテラスはタケミカヅチを送り、大国主命に国譲りを迫った。大国主命が脅かされて長男の意見を聞いてくれと頼んだ時、事代主神はのんびりと美保の岬で釣りをしていた。タケミカヅチに呼び出された事代主神は船で稲佐の小浜に向かった。事の一部始終を聞かされると、この国を差し上げますと言って海に飛び込み、乗ってきた船を傾けて中に隠れてしまった。それが、美保神社の祭り「青柴垣神事」となった。

 境港出身の水木しげるは、『古代出雲』を詳しく描写している。30年間古代出雲青年が夢に現れて、滅ぼされた出雲族のことを人々に知らしめてほしいとたびたび頼まれた。水木しげるは何度も何度も出雲地方を訪ね、神事に参加し、ついに長編『水木しげるの古代出雲』ができあがった。それは苦労して地上に葦原の中つ国を築いた出雲族がアマテラス率いる弥生族に滅ぼされた悲哀を鎮魂する物語だった。

 NHKで出雲族と弥生族のDNAを調べた番組があった。大陸から稲作と鉄器を持ってやってきた弥生人が縄文人(出雲族)に代わってこの国を支配するようになった。現代人にどの程度縄文人のDNAが残っているかを調べると、ごくわずかしか残っていなかった。現代人は、弥生人と縄文人の混血というよりも、ほとんど弥生人だった。縄文人が滅ぼされていった事実がDNAからも浮かび上がった。

 アマテラスに滅ぼされた出雲族の鎮魂が本当に必要だった。

 鎮魂とは何だろうか。平成27年4月、平成天皇がパラオに日本兵の鎮魂に出かけた。天皇は海に花輪を手向け深々と頭を垂れた。戦没兵士に深い哀悼の思いをささげた。そうだ。兵士たちは死後の世界でも戦闘を繰り返しているのだ。深く傷つき、恐怖と飢えに苛まれながら死後の世界を彷徨している。誰かが、もう戦争は終わったのだ、さあ光の国に帰りなさいと伝えるまで、彼らは地獄から抜け出ることができない。

 天皇が深々とこうべを垂れた海原の向こうに、どれだけ多くの御霊が集まってきていただろうか。最高司令官からの鎮魂の哀悼の意が注がれたとき、彼らは初めて戦争が終わったことを受け入れ、光の国へ上がっていった。

 水木しげるは、大国主命を鎮魂したのだろうか。それ以上に滅ぼされ、未だに苦悩する出雲族の民を鎮魂したのだ。そして、大国主命は自分と一緒に汗水を流して国造りをした民が鎮魂されることを心底願っていた。出雲地方にこれだけ多くの神社が祀られているのは、大国主命の深い深い鎮魂の思いを現していた。

 水木しげるの長い出雲巡礼の旅は終わった。滅ぼされた大国主命は、出雲に壮大な神殿を建てることを望んだ。アマテラスはアメノホヒとその子孫に出雲大社の宮司を命じた。アメノホヒの子孫は出雲国造として今も出雲族の鎮魂を続けている。天皇家と並んで日本最古の家系として連綿と神事を続けているのだ。

 水木しげるが長い長い出雲族の歴史を描き終わった時、古代出雲青年が再び枕元に現れて言った。

「水木よ、私の思いを分かってくれて、ありがとう。

 私はもう二度と、現れることはないだろう。」

 美保神社を拝礼し戻ってくると、鳥居の左手に小さな路地がある。青石畳通りだ。古い石畳の両側には旅館や醤油屋が立ち並び往時の面影を残している。狭い路地を左に進むと仏谷寺がある。浄土宗の古刹は今も人々の信仰が息づいている寺だった。

鳥居のすぐ横に青石畳通りがある。旅館や醤油屋が立ち並ぶ。

鳥居のすぐ横に青石畳通りがある。旅館や醤油屋が立ち並ぶ。

 美保神社を後にして、私たちは境港の水木しげるロードに向かった。延々と続く商店街の両側に妖怪たちのモニュメントが立ち並んでいる。たくさんの観光客が買い物や妖怪グッズ、妖怪饅頭を楽しんでいた。2015年93歳で亡くなった水木さんは、今も故郷の町を闊歩している。人々は可愛らしい妖怪たちを入口にして、やがてその奥にある精霊たちの真実の世界に気づくようになるだろう。見えない世界こそ、本当の世界であることに気づくようになるだろう。私自身、水木しげるを通してどれだけ多くのことを学んだことだろう。熱い感謝の思いがこみ上げてくる。

 その日は玉造温泉の長楽園に泊まった。日本一大きな混浴露天風呂に浸かると、旅の疲れが一気に癒される。かすかに硫黄の匂いが立ち上る透明な温泉だった。辺りは夕暮れ時の仄(ほの)かに青い大気に包まれ、一番星が輝きだしていた。

夕食も盛りだくさんの日本海の鮮魚と生ビールに囲まれて、おしゃべりが延々と続いた。パパさんがお父さんを看取った話は、鮮やかな情景が目に浮かぶほど克明だった。子供たちのこと、ジジババのこと、旅行のこと、話は尽きず、気が付くと食堂は閑散として来ていた。千鳥足で部屋にたどり着くと、心地よいベッドに身体が吸い込まれていった。

8.八重垣神社-スサノオノミコト

 9月20日朝6時にもう一度露天風呂に浸かった。静けさに包まれた広大な露天風呂の奥壁に龍の体が作られている。その龍の口から温泉が流れ出て細い滝を作っていた。その辺りの湯は熱くなっていて近寄れない。空は青く澄みわたり、今日も晴天だった。

 朝食をすますと、車で八重垣神社に向かった。広い駐車場がいくつもある大きな神社だった。お参りの人も多かった。鳥居の左手に手水舎があり、手と口を清める。山門(随神門)を潜ると太い注連縄を飾った拝殿が見えてくる。御祭神は、素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)、稲田(いなだ)姫(ひめの)命(みこと)、大己(おおな)貴(むちの)命(みこと)(大国主命)である。

八重垣神社山門(随神門) 奥に拝殿が見える。

八重垣神社山門(随神門) 奥に拝殿が見える。

八重垣神社 「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」 素戔嗚尊の和合の喜びが 今も境内に満ち満ちている 縁結びの大神だ

八重垣神社 「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
素戔嗚尊の和合の喜びが 今も境内に満ち満ちている 縁結びの大神だ

 素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する舞台となった場所である。高天原で暴れ者であった素戔嗚尊はついに追放されてしまい、天界を去って地上に降り立った。出雲斐の川の畔を上って行くと老夫婦と稲田姫が泣いているのに出会った。訳を聞いた素戔嗚尊は、佐草の郷「佐久(さく)佐女(さめ)の森」に『八重垣』を作り、稲田姫を隠した。八岐大蛇を退治した素戔嗚尊は、老夫婦の許可を得て稲田姫をめとり、この地に宮作りしたのが、八重垣神社の始まりである。

「八雲たつ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」

 妻をめとった喜びから、日本最古の歌が生まれた。

 参拝を済ますと、社務所で縁結び占い用紙を分けてもらった。和紙を鏡の池に浮かべると、占いの文字が浮いてくる。鏡の池は、小さな橋を渡りうっそうとした奥の院「佐久(さく)佐女(さめ)の森」の小道の奥にあった。左手にはご神木の夫婦杉が二本、囲いで守られて立っている。池の水は藻の緑を映し出して、まさに緑の鏡のようだった。池の奥に建つ小さな天(あめの)鏡(みかがみの)神社(やしろ)には、稲田姫命が祀られている。

 すでに数人の若者が池の畔で和紙の行方を見つめている。私も和紙を水面に浮かべ、100円硬貨を載せた。「金運に めぐまれる 縁 西と北 吉」の文字が浮かび上がった。

 (おおっ、ありがたいなあ。)と思ったが、この占いは続きがある。

和紙が15分以内に沈めば早く実現するが、それ以上かかると実現は遅い。和紙が遠くの方へ流れていくと、遠方の人との縁。近くで沈めば身近な縁を現す。私の紙は、左に向かってゆっくりと流れてしばらく浮かんでいた。やがて、中心の硬貨が沈み始めると、包み込むように静かに池の底に沈んでいった。

ミホリーナの和紙には、「信念をもて 願い かなう 西と南 吉」と浮かんだ。和紙はどこにも流されず足元で長く浮かんでいた。パパさんも、隣に並んで和紙を浮かべた。すると、瞬く間に池に吸い込まれていった。

妻も和紙を浮かべると、私と同じように左に流されて、しばらく浮いていたが、私と同じ場所に沈んだ。

 「佐久佐女の森」の奥に鏡の池がある。和紙の上に硬貨を置き、水面に浮かべて占う。

「佐久佐女の森」の奥に鏡の池がある。和紙の上に硬貨を置き、水面に浮かべて占う。

2本の夫婦杉のご神木 手前に古い囲いが残っている。

2本の夫婦杉のご神木 手前に古い囲いが残っている。

 八重垣神社の参拝を終えると、熊野大社を訪ねた。ここは、素戔嗚尊、別名加夫呂伎(かぶろぎ)熊野(くまの)大神(おおかみ)櫛(くし)御気(みけ)野(ぬの)命(みこと)を祀っている。本殿右の稲田神社には妻の稲田姫命を祀り、左の伊邪那美神社には母の伊邪那(いざな)美(みの)命(みこと)が祀られている。

 広大な敷地に3つの鳥居があり、意(い)宇川(うがわ)にかかる神橋は赤い朱塗りの欄干が目に鮮やかだった。随神門を潜ると広い境内に出る。拝殿に飾られた注連縄はさらに大きい。抜けるような青空から太陽の日差しがさんさんと降り注ぎ、辺りは静寂な霊気に満ち満ちている。出雲は素戔嗚尊のエネルギーが遍満していた。

意宇川に架かる朱塗りの神橋と鳥居 奥に随神門が見える

意宇川に架かる朱塗りの神橋と鳥居 奥に随神門が見える

素戔嗚尊の別名熊野(くまの)大神(おおかみ)櫛(くし)御気(みけ)野(ぬの)命(みこと)は、水と農業を司る神として熱い信仰を集めていた。

素戔嗚尊の別名熊野大神櫛御気野命( くまの おおかみ くし みけ ぬの みこと)は、水と農業を司る神として熱い信仰を集めていた。

苔むした岩間から流れ出る御神水 絶えることなく流れ出す美しい水だ

苔むした岩間から流れ出る御神水 絶えることなく流れ出す美しい水だ

鑚(さん)火(か)殿(でん) 10月15日に行われる鑽(さん)火(か)祭(さい)で、ここに祀られている火鑽(ひきり)臼(うす)と火鑚(ひきり)杵(ぎね)を出雲大社に貸し出す。出雲大社の古伝(こでん)新嘗祭(しんじょうさい)(11月23日)に用いる火をつくりだす。

鑚火殿( さん かでん) 10月15日に行われる鑽火祭( さん か さい)で、ここに祀られている火鑽臼( ひきり うす)と火鑚杵( ひきり ぎね)を出雲大社に貸し出す。出雲大社の古伝新嘗祭( こでん しんじょうさい)(11月23日)に用いる火をつくりだす。

9.須賀神社-国譲りの隠された意味

 熊野大社から20分ほどで須賀神社に着いた。こじんまりした駐車場に車を止めて、少し歩くと須賀神社の鳥居の前に着く。右側に『日本初之宮 和歌発祥之遺跡』と刻まれた石碑がある。石段を上がると山門に太い注連縄が飾られている。さらに石段を登ると社務所の奥に拝殿があった。御祭神は、素戔嗚尊と櫛稲田姫命。両側に2本の杉が、本殿を守るように聳え立っている。素戔嗚尊が、稲田姫命と宮を構えた場所である。青々とした抜けるような空、強い日差しが清々しさを強調していた。

 ここから2㎞先の奥の宮に夫婦岩が祀られている。

 出雲は素戔嗚尊の息吹が満ち満ちていた。2000年の時を経ても、人々が素戔嗚尊を敬い、思慕してきた思いが、点在する一つ一つの神社に現されていた。

 素戔嗚尊には沢山の逸話が残されている。茅の輪潜りもその逸話の一つである。旅の宿を喜んで貸してくれた兄の蘇民将来に、疫病を逃れるために茅の輪を腰につけることを教えた。教えを守った蘇民将来は疫病を免れたという。

 素戔嗚尊から国を引き継いだ大国主命は、さらに国を豊かにしていった。こうして縄文時代は豊かな平和な時代が続いた。出雲の国は拡大を続け、東は越前、西は出雲・吉備まで広がる広大な領地に豊かな穀物が実る国となって行った。それを見た天照大神は、葦原の中つ国は弥生族が支配するべきだと考え、大国主命に国譲りを迫った。日本という国が大国主命の出雲族から天照大神の孫、瓊瓊(にに)杵(ぎの)尊(みこと)の弥生族へと転換していった。

 並木先生は、それがベストの選択だったと言っている。どうしてベストなのだろうか。

 私は、出雲に出発する前に並木先生に質問してみたかった。ちょうどUNITYが、9月5日に開催された。私は勇んで参加した。テーマは、「風の時代のワークショップ-重要な秋分を迎えるにあたり、『今まで』に別れを告げて、『これから』を迎え入れる」だった。

 会場は満席だった。古い友人たち何人かと再会できた。

 主なテーマは、3か月後に迫った冬至を前にして、他の人への『干渉』を手放すことだった。他人の人生に干渉することは、眠りの時代の在り方であり、折角統合してきた自分の周波数を下げてしまう行為だった。自分を表現することは良い。だが、それが干渉になってしまうのが微妙な落とし穴だった。

 突然、ニギハヤヒと瀬織津姫の話題になった。

「随分久しぶりにニギハヤヒがやってきています。もちろん、今最も大切な存在です。」

 私は2年前のステラの疑問の続きを質問したかったので、ニギハヤヒが登場してくれたのが嬉しかった。ところが、話題はすぐ変わってしまった。

 そして、いよいよ質問の時間が来た。並木先生は、いつも突然質問を受け付けだす。その時タイミングよく手を上げると、当ててくれる可能性が高かった。

 「ハイ。」

 私は勢いよく手を上げた。先生が私の方を見た。

 「はい、そこの左端の人。」

 指さされたのは、私の後方の人だった。並木先生は、指さす前から誰がどんな質問をするか知っている。明らかに今日は私の日ではなかった。でも、どうしてニギハヤヒが話題に上がったのだろうか。徐々にその意味が分かってきた。

 その日のワークショップが終わるころには、私の心に解答が浮かび上がってきていた。テレパシーで答えを与える。そんな並木先生のやり方をだんだん経験するようになった。

 講演を聞きながら、最初に思い浮かんだのは明治維新だった。アメリカ海軍東インド艦隊長官ペリーが浦賀沖に突然現れ、幕府に開国を要求した。イギリス、フランス、スペイン、ロシアなどのヨーロッパの国々も次々に日本にやってきた。日本は植民地となる危機に立たされていた。既にインド、フィリピンは植民地となり、中国もアヘン戦争に敗れていた。

 だが、日本は植民地とするには強い武力を持っていた。武士の戦闘能力は欧米でも警戒されていた。しかも、日本は欧米から軍艦を購入し、大量の武器、弾薬を購入していた。欧米といえども、簡単に侵略できる国ではなかった。

 もし日本が植民地となってしまったら何が起きただろうか。天皇制は廃止され、出雲大社や伊勢神宮も破壊されただろう。日本文化そのものが消滅していたかもしれない。ネイティブアメリカンやマヤ族、インカ帝国のように、すべてを破壊尽くされ、略奪され、蹂躙されてしまっただろう。それを防いだのは、弥生族の戦闘能力だった。

 国譲りにより弥生族が日本を支配し、天皇制を確立した後も、日本の歴史は戦争の歴史だった。平安時代以後、鎌倉時代からずっと戦争が続いていた。唯一、江戸時代だけが260年間戦争のない時代だった。この戦争で鍛えた軍事力が、明治維新で日本を救った。

 もし、国譲りがなく、出雲族がそのまま日本を平和で豊かな国にまとめ続けていたら、明治維新は無事では済まなかっただろう。遥か昔から神々にはそれが見えていたのだ。

 しかし、植民地化を避けることはできたが、弥生族は戦争をし続けた。日露戦争、日清戦争、そして第二次世界大戦と、歴史はまたしても戦争を繰り返した。それは、弥生族の宿命かも知れない。

 2年前、並木先生が『それがベストだった。』と言った意味が分かる気がした。国譲りがなかったら、今の日本は存在できなかったのだ。ニギハヤヒの意向は、天皇を通じて弥生族にも浸透していくことができた。戦争好きな弥生族に、神々は大和の大調和の精神を教え続けてきた。それは、今というアセンションの時に、人々に真理を受け入れる十分な精神的基盤を作るためだった。

 ワークショップが終わるころには、必要な情報が降りてきた。「久しぶりにニギハヤヒがやってきています。」と並木先生が言った時、こういう形で情報を伝えるから受け取ってみてというサインだった。謎が解けるまで、あと一歩だった。

須賀神社 山門 日本初之宮 和歌発祥之遺跡

須賀神社 山門 日本初之宮 和歌発祥之遺跡

拝殿に大きな注連縄 両側に杉の大樹 石段右は素戔嗚尊の神詠の石碑

拝殿に大きな注連縄 両側に杉の大樹 石段右は素戔嗚尊の神詠の石碑

10.日御碕神社、天照大神と素戔嗚尊

 須賀神社を後にすると、いよいよ日御碕神社に向かった。山陰自動車道を利用して出雲神西あたりまで進んでから北上し、出雲大社のある稲佐の浜を左手に見て、一気に日御碕に向かった。1時間余りのドライブだった。

 午後2時に到着すると、まずは昼食にうに丼を食べることになった。車中で食堂を検索すると、日本海のうに丼を食べさせる店があった。相当な人気店だった。電話で確認すると4時までやっているという。食堂の前は行列ができていた。観光客は皆、うに丼が目当てだ。

 「ここまでです。うに丼はこれで終わりです。」

 元気なおばさんが案内に出てきた。私たちの3組前で、うに丼は終わってしまった。どうしようと、辺りを見回しても、それらしい食堂はなかった。

 「イクラ丼ならあるわよ。のどぐろの煮つけもあるわ。それでよかったらどうぞ。」

 私たちは、無事イクラ丼とのどぐろの煮つけにありつけた。小粒のイクラとアオサの相性が良かった。

 日御碕灯台の駐車場は車でいっぱいだった。シルバーウイークの連休に大勢の観光客が集まっていた。灯台を尻目に元来た道を戻り、日御碕神社を目指した。

 花崗岩の鳥居を潜ると目にも鮮やかな朱塗りの巨大な楼門が目に飛び込んでくる。神社は、下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなっている。楼門を抜けると右側の階段の上に「神の宮」が現れる。素戔嗚尊を祭っている朱塗りの拝殿である。

 楼門をまっすぐ進むと朱塗りの下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」が荘厳にそびえている。松林の中にたたずむ朱塗りの社は、巨大な存在感を感じさせる。天照大神が祭られている。

日御碕神社 目にも鮮やかな朱塗りの楼門

日御碕神社 目にも鮮やかな朱塗りの楼門

 天照大神と素戔嗚尊を同等に一緒に祭っている日御碕神社は、弥生族と出雲族の融和と統合を象徴している。3代将軍徳川家光の命により、現在の本殿が建てられた。

 「なんか誰もいないみたい。」

 ミホリーナが「神の宮」の前でつぶやいた。拝殿に立派な注連縄が飾られているに、何かスコーンと抜けたように何の手ごたえもなかった。拝殿の奥には、一段高いところに本殿がある。本殿も静まり返って、主が不在だった。

 出雲に出発する前日、アキさんのリーディングを受けた。アキさんは、医療系の仕事をしているまだ若い女性である。ちょうど2年前にもアキさんのリーディングを受けたことがあり、出雲について聞いておきたかった。

 台風14号が伊豆諸島を通過しているころ、アキさんに会った。

「ちょうど夏至の日に出雲に行ってきたばかり。」

「どうでした。」

「がらんとして、誰もいなかった。」

 アキさんは会うなりそう切り出した。

「誰もいなかったって、どういう意味ですか。」

「日本国民が代替わりするときにあたって、神様たちも配置換えが起きているの。今生まれてきている子供たちが、新しい魂として日本で活躍を始める時期が来るのよ。大国主は、根付かせるエネルギーだから、新しい魂が代替わりするスペースをちょうど整えているところみたい。

大国主は、境がないからどんどんスペースを与えてくれる。アマテラスは求心力がすごい。大国主もアマテラスもコアとしては一つだけれども、地球に来たからには分れなければならない。そうして歴史を作ってきたのだけれども、今はアマテラスが意識を送る先が日本から別のところへ変わっている。大国主は、意識を地に向けてそこに根付かせるエネルギーなの。だから、新しい国づくりが始まる今は、準備の時なのね。」

「新しい国造りって、自然農法とか、自給自足の方向へ向かう人たちもいるけれども、最新の科学技術を使って自然を保護しながら農業を発展させる方法もありますよね。これからはどちらの方向に向かっていくのですか。」

「国っていうのは、視座が違うのよ。国って、個人のこと。個人が本当の自分に根付いて、自分の国を建てれば、そこで何をしてもよいの。大本は一つであって、好奇心、発展、成長なの。今は主軸がずれてしまって、神様とか、何か崇拝とかしているけど、神との関係性が変わって上下ではなくなるのよ。」

 アキさんとの対話はテンポが良くて心地よかった。出雲の神様たちは、これから起きる大転換に備えて着々と準備をしているようだった。

 日御碕神社を参拝した後、島根県立古代出雲博物館に向かった。元来た海岸沿いの曲がりくねった道を走ると、右手に日本海が見え隠れする。稲佐の浜まで戻って左折し、出雲大社の前の勢溜(せいだまり)の鳥居を横目にみると、もうすぐ博物館である。大きな駐車場の奥にモダンな建物が建っていた。

 中央ロビーには、中世出雲大社御本殿の心御柱と宇豆柱が安置されている。共に3本の巨木を束ねて巨大神殿を支えていたものだった。十分の1レプリカもかなりの迫力がある。高さ48mの巨大神殿が、平安時代には建てられていたのだ。神話の世界が実在していたことを物語っている。

 荒神(こうじん)谷(だに)遺跡(いせき)で発掘された銅剣、銅鐸、銅矛も展示されている。金色に輝く往時の色彩は見る者を魅了する。青銅とはこれほど美しい輝きだったのかと驚かされる。

 明日はいよいよ出雲大社をお参りするのだ。

 古代出雲博物館を出ると、夕暮れの稲佐の浜に向かった。浜の中央に忽然とそびえたつ弁天島は異様だった。まるで神様の忘れ物のように、平坦な浜辺に突き出ている。海の水は美しく透き通っている。夕陽が徐々に日本海に沈んでいった。空がゆっくりと黄金色(こがねいろ)に染まりだし、穏やかな海面に太陽の光が一直線に反射して浜辺全体が輝きだした。やがてさらに太陽が水平線に近づくと、黄金色から茜色に鮮やかな色合いを変化させていく。

 私たちは、荘厳な夕陽に我を忘れて見入っていた。ミホリーナがハープを取り出して、奏でだした。右手に弁天島、渚に白いローブをまとった天女、海は夕陽の茜色を反射して輝きを増していった。ハープの音色が優しく丸みを帯びて景色を包み込んでいる。

 一生に何度も見るチャンスのないほど美しい夕陽の渚だった。

稲佐の浜の夕陽 大社漁港の灯台に沈む

稲佐の浜の夕陽 大社漁港の灯台に沈む

 日没の後、私たちはそれぞれの宿に向かった。2日目は別々の宿だった。荷物を置いた後出雲市駅前の居酒屋で合流した。既にパパさんが席を予約してくれていた。日本海の魚は本当においしかった。辛口の地酒が五臓六腑に染み渡る。口が滑らかになり、夜の更けるまでお喋りが続いた。

11.出雲大社

 翌朝、もう一度稲佐の浜に出かけた。黄金の夕陽とは打って変わった青空が広がっている。ふと見ると出雲大社の北側の八雲山に龍神雲が現れていた。ぱっくりと口を大きく開けて細身の胴体を何度もくねらせたような雲がこちらを見つめていた。目も鼻もしっかりとある。

 3日間、本当に奇跡のような天気だった。

 弁天島の神社に参拝した。かつては弁財天が祀られていた。そうか、弁財天は音楽の神様でもあった。ミホリーナのハープをことのほか気に入ったのだろう。裸足になって海に入り、素鵞社(そがのやしろ)に奉納する砂を海岸で集めた。粒子の細かい肌触りの良い砂だった。

稲佐の浜の朝 龍神雲が八雲山から立ち昇っていた。

稲佐の浜の朝 龍神雲が八雲山から立ち昇っていた。

弁天島 以前は弁財天を祀っていたが、今は豊玉(とよたま)昆(ひ)古(この)命(みこと)が祀られている。

弁天島 以前は弁財天を祀っていたが、今は豊玉昆古(命( とよたま ひ この みこと)が祀られている。

 車を駐車場に置いたまま、出雲大社に向かった。神迎道をゆっくりと歩いていく。家々には、神様をお迎えするお花が玄関脇に飾ってある。信仰とともに生きている出雲の人々の心意気だった。

 しばらく歩くとついに勢溜(せいだまり)の大鳥居についた。想像以上に大きい鳥居だった。右手に神門通りの土産店が続いているが、そのはるか先にも大鳥居が見えた。宇迦橋の大鳥居だ。

 勢溜の大鳥居を潜ると松の参道はどんどん下っていく。右手に祓社(はらえのやしろ)がある。瀬織津比咩(せおりつひめの)神(かみ)、速開津比咩(はやあきつひめの)神(かみ)、伊吹(いぶき)戸主(どぬしの)神(かみ)、速佐須良比咩(はやさすらひめの)神(かみ)の四柱が「祓戸の神」と称され、ご祭神になっている。丁寧に参拝し、穢れを祓った。

 長い松の参道はどこまでも続いているように感じる。右手には広い芝生の空間が作られている。やがて松の参道の両側に大国主の像が現れる。右側は幸(さき)霊(みたま)奇(くし)霊(みたま)を模した黄金の球体を神からいただている大国主命の姿である。左側は因幡の白兎の物語だった。私たちも、幸(さき)霊(みたま)奇(くし)霊(みたま)を授けていただいた。

 遂に拝殿前の銅の鳥居に着いた。空にはおぼろ雲がかかり、巨大な白色の太陽がさんさんと光を放っていた。ダイアモンドの光の粒子が辺りに降り注いでいる。

銅の鳥居前の松林に、さんさんと光を注ぐ巨大な白い太陽

銅の鳥居前の松林に、さんさんと光を注ぐ巨大な白い太陽

 拝殿に立つと、社も大きいが注連縄も大きい。かつて平安時代には、ここに高さ48mの巨大神殿が建っていたのだ。境内の建物は、何もかもが大きかった。清々しい風がそよいでいる。大きな建物は決して威圧的ではなかった。むしろ女性的な丸みを帯びているように感じられた。今まさに、歴史の大転換がこの場所から始まる伊吹に満ち満ちていた。

 拝殿の奥に回ると本殿を取り囲む瑞垣がある。本殿正面の八足門の前には、あの心御柱と宇豆柱があった場所に赤い三つの円が描かれている。その巨大さが際立つ。

 大国主命の国譲りの約束を守って、天照大神の子の天(あまの)穂(ほ)日(ひの)命(みこと)が出雲で祭祀を始めた。その子孫が今日もなお出雲国造として連綿と祭祀を継続している。それは気の遠くなるような文化の継承でもあった。天皇家と出雲国造家は、神代の時代から絶えることなく今日まで継承されている。

 瑞垣を回って東の十九社から参拝した。やがて本殿の北側に着くと素鵞社(そがのやしろ)がある。素戔嗚尊を祭る社である。ちょうど南中した日差しは素鵞社を際立たせていた。まるで光の中に木の社が浮かび上がっているようだった。

光り輝く素鵞社。素戔嗚尊のエネルギーが最大になった。

光り輝く素鵞社。素戔嗚尊のエネルギーが最大になった。

 稲佐の浜から持ってきた砂を奉納した。社の周りにはたくさんの砂の箱があり、そこに持ってきた砂を奉納し、自宅用の砂を分けていただいた。素鵞社の背面に回ると苔むした巨石が社を守っていた。磐座だ。

 この磐座の奥が八雲山である。古来人が入ることを禁じられた領域である。

素鵞社の磐座 苔むした緑の磐からすさまじいエネルギーが立ち上っている

素鵞社の磐座 苔むした緑の磐からすさまじいエネルギーが立ち上っている

 瑞垣に戻り北側から本殿を参拝した。頭上に煌々と太陽が光り輝いている。参拝する者の頭(こうべ)を太陽の息吹が撫でていく。

 すべての社を参拝すると神楽殿に出る。この建物も巨大だった。注連縄はさらに大きくなり、5.2トンもの重量になるという。古代の人々はどうやってこの巨大な注連縄を吊るしたのだろうか。すべてが想像を絶する。

 ミホリーナは神楽殿の前でハープを演奏したかった。ちょうど神楽殿の西側に鏡の池があり、ベンチもあった。参拝者も途切れかかっていたので、私たちはミホリーナを促した。彼女は何か気になるのか、庭にいた宮司さんに話しかけた。すると、演奏の奉納にはあらかじめ届が必要とのことだった。

境内での演奏をあきらめかかったが、ミホリーナは社務所に寄ってみることにした。すると、神社は歌や踊りをするところではありませんと、けんもほろろの対応だった。職員は昼食前で疲れていたのかも知れない。

12.ニギハヤヒの復活

 出雲大社の主祭神は、大国主命である。しかし、今出雲大社を参拝してみると素戔嗚尊の強い息吹が満ち満ちていた。強固な決意のような力強さが感じられた。さらに素戔嗚尊の背後にある存在は、ニギハヤヒであった。

 2年前の『ステラ』で並木先生は、ニギハヤヒの正式名称を教えてくれた。「アマテルクニテルヒコアマノヒアカリノクシミタマニギハヤヒノミコト」すなわち、天照大神の本当の名前だった。弥生族が支配し、精神性が失われ、物質主義に陥っていった中で、本来のニギハヤヒの名前から女性のアマテラスに改ざんされてしまい、瀬織津姫も歴史の舞台から消されてしまったという。

 今出雲族の復活の時を迎えたのは、同時にニギハヤヒと瀬織津姫の復活の時でもあった。私の最後の疑問が解けていった。本来同じ分け御霊である大国主命と天照大神が互いに争い、弥生族が日本を支配した。だがその弥生族の中心には天皇が存在し、ニギハヤヒの意思を民族に伝える役割を果たしていた。複雑な二重構造を維持しながら、長い歴史を刻んできた。それがベストだったという。

 なぜ分け御霊なのに二つに分かれて争い、精神性の低いものが支配する構図が必要だったのか。

 その最後の疑問に答えを与えてくれたのは、またしても『エイリアン・インタビュー』だった。

 バシャールは、宇宙には「5つの法則」しかないと言う。ナオキマンとの対談の中で端的に表現していた。

  • あなたが存在している。
  • すべてのものは今、ここにある。
  • ひとつのものはすべてであり、すべてのものはひとつである。
  • あたえたものを受け取る。
  • これらの法則以外のものは、すべてが変化する。

 この「5つの法則」の中に宇宙の秘密が隠されている。

 墜落した宇宙船のエアルが語った物語は、私がバシャールやドランバロ・メルキゼデク、ゼカリア・シッチンなどから得ていた情報と食い違う点がいくつかあった。エアルには、光と闇という概念がなかった。ドメインは、全物質宇宙の四分の一を「支配している」と言うが、効率的に資源を保護する概念はあるが、存在を愛するという感情は感じられなかった。

ドメインは、数百年にわたって、この太陽系で『旧帝国』軍宇宙艦隊と闘い、壊滅させたと言う。「与えたものを受け取る」宇宙の法則から見れば、ドメインは非常に長い歴史を持つ文明であるが、物質次元に近い文明だった。

エアルは、巧妙に隠された『旧帝国』の秘密基地を「偶然」見つけている。つまり、ドメインは、『旧帝国』と全く同じ次元に存在している文明だった。一つ上の次元に上がると、下の次元は手に取るように見ることができる。ドメインには、その能力がなかった。

 一方、上の次元の存在は下の次元の存在に直接介入することはない。もし、直接介入すれば、同じ次元に転落してしまう。それが、ニギハヤヒが「闇の勢力」と直接戦わない理由だった。

 今、次元上昇を迎えている私たちの立場も同じだ。3次元世界に没頭する人と直接争っていれば、それは3次元で生きることを選択したのと同じだ。高次の存在は、直接介入しない。ヒントを与え、サポートを与えてくれるが、選択はその人に任されている。

 ニギハヤヒには、「闇の勢力」の介入が見えていたはずである。「闇の勢力」の介入を一切阻止することなく、人類を次元上昇させることが彼らのミッションだったのではないか。私には、それは、途方もなく困難なことのように思われた。

しかも、このミッションにはタイムリミットがあるのだ。地軸のずれによって生じる歳差運動によって、地球上のすべての存在は、目覚めから眠り、眠りから目覚めへと1万3000年ごとに周期している。その周期が、ちょうど今訪れようとしている。このチャンスを逃せば、2万6000年待たなければ、次のチャンスはやってこない。

人類は、過去4回アセンションに失敗してきたと言われている。今回が5回目だ。それほど難しいということだ。人類にとっても難しいが、ニギハヤヒにとっても難しいことだった。今この時代が、宇宙にかつてなかった稀有な時代だという意味が、おぼろげながらに分かってきた。宇宙人たちや天使たちが小躍りして喜んでいる。ついに人類がアセンションする日がやってきたのだ。それほど困難なミッションが成功しようとしているのだ。彼らが人類を「勇気ある存在」と称える意味も分かる。人類は自力でアセンションを選択しなくてはならないからだ。その選択は、全く個人個人の課題である。だからこそ、彼らは固唾をのんで見守っているのだ。

イエスや仏陀、空海は偶然生まれてきたのではない。実にたくさんの計画や準備の結果、彼らは地上に誕生してきた。それでも予定通り計画を達成できるかは分からない。おそらく大勢の達成できなかった存在たちが歴史に埋もれているはずである。こうして、無数の高次の存在たちが地上に降り立ち、人類意識を覚醒へと導いてきた。実に気の遠くなるほどの膨大なミッションの積み重ねによって、今の時代が形成されている。

一方、闇の存在たちも全力で悪をなしてきた。残忍さ、執拗さは半端ではなかっただろう。しかし、悪も極めれば反転する。爆発する良心の呵責によって反転する。山田征は、反転したルシファーの真実を描いている。創造の初めから闇を司ってきたルシファーが反転して、ルシエルとなった。すべての闇が自浄し自滅していく。こうしてついに、監獄惑星であった地上に光が差し始めた。

並木先生によれば、全宇宙の中央評議会によって、幽界トラップシステムが解除され始めた。現在では、幽界トラップはなくなり、人は亡くなった時幽界ではなく、直接アストラル界に上がっていけるようになった。この幽界トラップこそ、エアルが言っていた「電子バリア」に他ならなかった。いつも驚嘆するのだが、並木先生がさらりと言ってのける話が、マニアックな情報とほとんど矛盾することがなかった。

この非人道的な幽界トラップがなければ、人類ははるかに早く成長できたはずである。ところが、幽界トラップのために、毎回毎回転生するたびに「電子バリア」によって強烈な電気ショックを施され、すべての記憶を消去されてしまうのだ。それだけではなく、偽の記憶と偽の時間をインプットされている。こんな状況で魂の真実にどうしてたどり着くことができるだろうか。

 1万3000年続いた人類の暗闇がついに解き放たれる時が来た。2021年12月22日冬至、人類のDNAに埋め込まれた覚醒のタイマーが始動する。日本の出雲の地から、ニギハヤヒの力強い覚醒のエネルギーが放射され始める。それはまるで天岩戸が開いたように、瞬く間に全世界に展開するだろう。フェスティバルの始まりである。

 朝、稲佐の浜で見た龍神雲は、偶然ではなかった。八雲山から立ち上がる龍体も意味があった。出雲大社の裏側に着いたとき、太陽は南中し、素鵞社はキラキラと光に包まれて輝いていた。素鵞社の裏に回ると磐座が緑の光を放っていた。この磐座の奥に八雲山が佇んでいるのだ。この八雲山こそ、古代から神秘のご神体として篤く信仰され、守られてきたニギハヤヒの聖域であった。

 謎を抱えて出雲にやってきた私は、深い核心に到達することができた。本当に人類意識の覚醒が始まるのだ。

13.命(いのちの)主社(ぬししゃ)、樹齢1000年のムクノキ

 出雲大社の境内を出て銅の鳥居に沿って東に延びる道、社家(しゃけ)通り(どおり)がある。北島国造館、命(いのちの)主社(ぬししゃ)、眞名井の清水へと続いている。

 命主社には、天地創造の造化三神の一柱、神皇産(かみむすび)霊神(のかみ)が祀られている。古代の磐座が神社に発展したものである。案内板に連れられて狭い路地を少し入ると、巨大なクスノキに目を奪われる。樹齢1000年と言われる巨木だ。その存在感に圧倒される。数々の苦難を乗り越え、人々の信仰と共に育ってきたご神木だ。その峻厳さに思わず背筋がピンと伸びてくる。

  樹齢1000年の老木でありながら、瑞々しい生命力を宿している命主社のムクノキ

樹齢1000年の老木でありながら、瑞々しい生命力を宿している命主社のムクノキ

 小道をさらに東へと進むと民家の間に眞名井の清水が湧きだしている。この水は島根名水100選にも選ばれている。出雲大社の新嘗祭に使われる水だ。岩の隙間からこんこんと湧き出る水は清冽で心地よい。持ってきたクリスタルを清水で浄化した。クリスタルは輝きを増し、光を反射するレインボーが増えた気がする。

 誰もいないこの場所は、ハープを演奏するのにふさわしいと思われた。私は、ミホリーナに演奏を勧めたが、ミホリーナは気が進まない様子だった。眞名井の清水の隣の民家に気兼ねしたのかも知れない。

 帰り道、北島国造館に寄ってお参りをした。初めて入る境内は勝手が分からないと思っていると、若い女性が車から降りてお参りに向かうところだった。女性の後をついていくと、拝殿があった。女性に続いて三礼四拍手一礼でお参りした。すると、女性はさらに奥の方へとわき目も降らずに進んでいった。私たちもそれにつられて歩いていくと、池があり中央に祠があった。その祠の奥には滝が流れていた。心字池と亀の尾の滝だった。祠は天神社といい少名毘古那(すくなびこなの)神(かみ)を祀っていた。病気治療や鳥獣や昆虫の禍を祓うまじないを定めた神であった。

 人気のない池と滝は神域だった。静かに参拝していると、滝の音が心にしみる。遅れてやってきたミホリーナが大工さんを連れて近づいてきた。

「大工さんに、ここでハープを弾いてくれって頼まれたの。」

 大工さんは、神社境内の木の管理を専門にしていた。

「どんな音色か、聴いてみたいな。」

「じゃ、ここで。」

「そんなところじゃなくて、祠の前で弾いたらいいよ。」

 初めは遠慮していたミホリーナだが、心字池に浮かぶ島の天神社の前に座って演奏することになった。今回はギャラリーもいる。正座をして天地を寿いだミホリーナは静かにハープを奏で始めた。滝の音を背景にしながらハープの音色は神域にこだました。最高の演奏だった。

北島国造館の心字池でミホリーナがハープを奉納した。

北島国造館の心字池でミホリーナがハープを奉納した。

 私たちは神門通り商店街を見物した後、出雲大社を後にした。車窓から青空に龍神雲が見え隠れした。ありがとうございました。3日間、最高の旅を与えられた。

 旅の終わりに、須佐神社を訪ねた。夕暮れが迫っており、社務所はすでに閉まっていた。素戔嗚尊が国造りをして最後にたどり着いた地である。須佐神社には塩井(しおのい)などの七不思議があり、境内に案内板がある。境内の裏には樹齢1300年という杉のご神木が静かにたたずんでいる。ここにも素戔嗚尊の息吹が満ちていた。

 出雲縁結び空港に着くと、飛行機を待つ間レストランで夕食を取った。まるで居酒屋のような賑わいの店で、ビールで乾杯し旅の緊張をほぐした。のどぐろの一夜干しが味わい深かった。

 2021年冬至に、再び出雲を訪ねよう。ニギハヤヒの光がここから始まる。必ず大きな変化が始まる。そんな予感に満ち満ちて、飛行機に乗り込んだ。

須佐神社の本殿は、1861年建築された。拝殿には、大きな注連縄、奥の社には鏡が祀られている。

須佐神社の本殿は、1861年建築された。拝殿には、大きな注連縄、奥の社には鏡が祀られている。

エピローグ

 大国主命の国譲りと弥生族の天皇制は、どのような関係なのだろうか。縄文時代の代表である出雲族は、天照大神の弥生族に滅ぼされ歴史の表舞台から消えた。その謎を解く出雲巡礼の旅は、予想以上の歓迎を受けて幕を閉じた。たくさんの疑問が、徐々に明らかにされていった。日本創生の神であるニギハヤヒの復活と人類意識の覚醒が、ここ出雲から始まろうとしていた。

 神社に祀られている神々と日本人の間に大きな絆があることが分かった。私自身、神社にお参りに行くことで大きなご利益をいただいたことがたくさんある。初めは何となく参拝していたが、いただくご利益の素晴らしさに感嘆するばかりだった。

 友人が10年も子供を授からなかったとき、一緒に出羽三山にお参りした。ほどなく友人から懐妊の連絡が入った。その時はただ驚いた。

 総務を頼まれたある団体が赤字転落になりそうになった時、役員を引き連れて箱根神社を参拝した。3月会計を閉めてみるとかつてないほどの黒字決算だった。そんなことがあるのかと唖然とした。後で箱根神社に妻とお礼参りに出かけた。

 その経験から、ことあるごとに神社を参拝するようになった。神々の力は常に働いていた。

 創造主が宇宙を創造した時、人間をサポートするために天使を創造した。天使など存在しないと思っている人もいるかも知れない。天使は、必ず人間が頼まなければ助けてくれない。天使には、謝礼金もいらなければ、手付金もいらない。ただ心の中で、頼むだけで良いのだ。天使たちは人間から頼まれることを心待ちにしている。

 神々も同じだ。人間が心からお願いしない限り、めったにあなたの生活に姿を現すことはない。しかし、神々との交流は本当に心楽しい出来事である。旅行に行ったあと、デズニーランドやユニバーサルスタジオを楽しく思い出すかもしれない。同じように、神社に参拝したあと、その記憶は不思議と長く残る。深い安らぎと懐かしい思い出となっていつまでも心に刻まれている。それは神々と魂の交流をしていた証拠である。

 やがて神々が真実の姿を現す時が、やってくる。それはもうそこまで来ている。その時、私たち自身が神々と同じ存在であることを、心底理解する時でもある。その日を楽しみに、次なる巡礼の準備をしよう。

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